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終戦の詔書から消えた言葉 [政治]

昨日、チャンネル桜の討論番組で、小堀桂一郎先生や桶谷秀昭さん、佐藤守さん等、そうそうたるメンバーの話を拝聴しました。めっちゃ、おもしろかったです。私たちは、ホント自分の国について何にも教わってきていなかったんだな、先輩たちから受け継ぐその機会すら奪われてきたんだな、と、妙に悲しく、憤り、同時に、インターネット普及のおかげで、良質の言論や情報に触れることができるようになったことを有難く思い、挽回したい、このままやられっぱなしでいるわけにはいかない、と闘志を燃やしたりするのでした(^_^;)

この番組の中で、終戦の詔書から、安岡正篤氏が綴った「義命ノ存スル所」という表現が、当時の官房長官?の判断で「時運(じうん)ノ趨(おもむ)ク所」という表現に変えられてしまったという話をしていました。
「義命」というのは、「命よりも「義」が上」という考えだそうです。調べてみたら、『春秋左氏伝』の『成公八年』の条に『信以て義を行い、義以て命を成す』からきている言葉とのこと。

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この「義命ノ存スル所」が、入っていれば、「義命ノ存スル所 堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ 以て万世の爲に太平を開かむと欲す」となり、「今戦争を止めることは道義上正しいことなのだ、道義の至上命令のしめすところによって終戦の道を選ぶのだ」ということになるのですが、「時運(じうん)ノ趨(おもむ)ク所」としてしまったため、思想が変わってしまった、というお話が、初めて聞くお話で、ひょえ~~って、感じでした。
「時運(じうん)ノ趨(おもむ)ク所 堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ 以て万世の爲に太平を開かむと欲す」だと、「運命のまま」、悪く言えば、「成り行き任せで」という意味になってしまう。確かに、確固たる天皇の御意志が消えてしまって、ふにゃふにゃって感じですよね。

これは、直すべきではなかった、という議論に、深く感じ入ってしまったのでした。


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