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”男が惚れる男” 重光葵の外交エピソード ~こういう人が増えたら、日本はもっと強く優しくなれるね。 [読んだ本について]




今日は、「男が惚れる男」と言われた政治家、重光葵(まもる)のお話をするね。
重光葵は、戦前から戦後に活躍した外交官で政治家なんだ。
大東亜戦争の目的に「アジアの解放」を掲げ、大東亜憲章を提唱、アジア版の国際機構をつくろうとした人としても知られているんだ。戦後、日本がGHQに軍事占領されなかったのも、彼の交渉のお蔭なんだよ。

(エピソード1)
重光葵は、昭和7年4月29日に上海で行われた天長節の式典に参列した時、爆弾が投げられて、片足を付け根から失ってしまったんだ。天長節というのは、天皇陛下のお誕生日のこと。天皇陛下のお誕生日をお祝いする式典で、爆弾事件が起こったんだよ。かれは、爆弾が投げられたのはわかっていたけど、国歌斉唱(こっかせいしょう)中だったので、動くのは不敬だと、誰一人動かなかったそうなんだ。
今の僕たちの感覚で理解するのは少し難しいけれど、ね。その事件の6日後に重傷を負いながら上海事変の停戦協定にサインしている写真があるそうだよ。この重光葵の行動を、イギリスのランプソン公使は「にくいほど勇敢な我々の友」「重光は一級の人物と考えていたが、今日の出来事は何よりのあかしだ」と絶賛したそうなんだ。
彼の大東亜構想に、アジア諸国は勇気づけられ、西欧からの独立を勝ち取るためのエネルギーになっていったんだよ。

(エピソード2)東京裁判

重光葵は、ソ連の強い働きかけによりA級戦犯として起訴されたんだけど、彼の無罪を主張した人は戦勝国側にも多かったんだ。
キーナン判事、ハンキー卿(国務大臣)、ファーネスをはじめ、多くの人が、重光葵を裁判にかけるべきではなかったし、有罪の判決を下されるべきではなかったと言っているんだ。
裁判の口述書でも、重光が三国同盟に反対したこと、日英の関係改善のためイギリスから使節団を送ろうとしたこと、開戦を阻止するため努力したことなどが、延々とかたられているんだよ。
オランダの判事ローリング氏は、こういっているんだ。「本法定の前に提出された証拠は、重光が戦争のためにでなく、平和のために努力した外交官であり、為政者であったことを示している」「被告人重光葵は、訴追されたあらゆる罪状について、無罪とされるべきである」と。

(エピソード3)再軍備
戦後、日本はアメリカに基地を提供し、その代わり敵国から攻撃があったらアメリカに守ってもらう、という吉田茂が作り上げた日米安保の思想は、現在も受け継がれ、今、まさに岐路に立たされているよね。

重光は、吉田茂が昭和26年に結んだ日米安保条約を日米対等の条約に改定しようと考えていたそうなんだ。
重光葵は、再軍備について、国家が存続するかどうかを左右する大きな問題ととらえていたんだね。
「再軍備の基本は、日本国を保有するかどうかということである。戦争がないからと言って安心するのは間違いだ。」と、
重光葵が戦犯とならず、戦後のかじ取りをしていたのなら、日本は、軍隊を持つ普通の国になっていただろうと言われているんだ。


重光葵は、三国同盟に反対し、日米開戦に反対し、戦争の継続に反対した。実際に戦争になってからは、戦争から逃げなかった。上海爆弾事件で爆弾が投げられても逃げず動かなかったように、勝とうと努力したんだ。
「戦時外交は、勝つための外交である。軍事上窮地にありとすれば、何とかして外交、政治上これを補い、さらに進んで勝利のために道を開かねばならぬ」

対支新政策、大東亜共同宣言、降伏文書への調印等、日本の名誉を守り、マッカーサーの軍政さえも拒否している。

こういう人の話は、もっともっと聞きたいと思う。こういう胆力を備えた人に少しでも近づけるよう、努力したいね。
じゃあ、またね。





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