『重光葵 連合軍に最も恐れられた男』(福冨健一著)から抜粋 [読んだ本について]
『重光葵 連合軍に最も恐れられた男』(福冨健一著)の後ろの方から少しご紹介します。
--ここから抜粋--
敗戦の年の昭和20年9月6日、トルーマン大統領の承認した占領初期の方針「降伏後における米国の初期の対日方針」
「日本国は完全に武装解除せられかつ非軍事化されるべし。軍国主義及び侵略主義の精神を表示する制度は、協力に抑圧せらるるべし宗教的信仰の自由は占領と共に直ちに宣言せらるべし。同時に、日本人に対し超国家主義的及び軍国主義的組織及び運動は、宗教の外皮の陰に過くるるを得ざる旨を明示せらるべし。」
である。
つまり、日本の武装解除、精神解除を断行する。軍隊と神道をなくせば、日本は二度とアメリカの脅威にならないだろうと考えた。そのため、軍隊と靖国神社を否定したのである。(p288)
つまり、日本の武装解除、精神解除を断行する。軍隊と神道をなくせば、日本は二度とアメリカの脅威にならないだろうと考えた。そのため、軍隊と靖国神社を否定したのである。(p288)
平成23年4月、イギリスのウィリアム王子の婚礼が、イギリス国境のウエストミンスター寺院で行われ、王子は近衛歩兵第四連隊の名誉大佐の礼服を着用した。二人を祝福し、王子の所属する空軍機がバッキンガム宮殿の上空をデモンストレーション飛行。サンドハースト王立士官が功を卒業した王子は、婚礼後も英空軍救援ヘリコプター操縦士としてアングルシー基地近くに住む。宗教と軍と王室が一体となっているのである。イギリス国民は、厳粛で高貴な婚礼に感動し、ユニオンジャックを振って祝福した。
仮にこの王子の婚礼の儀式から、宗教と軍を取り除いたらどうなるであろう。伝統ある感動的な王室の婚礼は不可能であり、無味乾燥な無国籍の婚礼になってしまうのではないだろうか。宗教、軍、王室、伝統が一体となって、高貴さや美徳を体現しているのである。GHQは、日本から宗教と軍と伝統を奪い、更に、東京裁判史観で歴史さえ奪ったのである。
吉田茂は、
「私は、日本の首相として再軍備は当分いたさない」
「私は、日本の首相として再軍備は当分いたさない」
と述べている。人間の高貴さ、美徳、殉国の精神などは、軍と宗教と歴史が一体となって受け継がれるのである。この「再軍備は当分いたさない」という吉田の考え方が、日本人の精神に与えた影響はあまりに大きい。作家の三島由紀夫は、その天才的感性から、軍隊や宗教、歴史観を失った日本に対し、
「戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのをみた。国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにごまかされ、日本人自ら日本の伝統を潰してゆくのを、歯噛みしながら見ていなければならなかった。」
と述べている。三島が述べる「日本の魂の空白状態」を修正し、再び日本らしい日本を甦らせる道標が重光にあるのではなかろうか。重光は、自身を「しこの御楯(みたて)」ととらえているが、このような精神が求められているのではなかろうか。
重光は、再軍備をどう考えたのであろうか。
「自らの使命は、吉田の残した仕事の後始末をすることである」
と語っている。
つまり、昭和26年に吉田が結んだ「物と人の協力」である日米安保条約を日米対等の条約に改定しようと考えたのである。仮に、重光が戦犯にならずにいたなら、日米安保条約は対等な条約になり、自分の国は自分で守るという普通の国家になっていたであろう。重光は、日本の敗れた大東亜戦争について、次のように記している。
「自らの使命は、吉田の残した仕事の後始末をすることである」
と語っている。
つまり、昭和26年に吉田が結んだ「物と人の協力」である日米安保条約を日米対等の条約に改定しようと考えたのである。仮に、重光が戦犯にならずにいたなら、日米安保条約は対等な条約になり、自分の国は自分で守るという普通の国家になっていたであろう。重光は、日本の敗れた大東亜戦争について、次のように記している。
(ここまで抜粋)
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東京裁判で、露が重光を戦犯にねじ込んできて、重光はA級戦犯となった。
しかし、重光はチャーチルとも対等に張り合い交渉し、信頼も厚く、戦争回避のために大層尽力している。重光が戦犯というのはおかしいだろう、という抗議が、緒外国の要人たちから沢山届いていた、という話も、本の中に書いてあります。
今、後ろの方だけ抜粋しましたが、重光葵の人物像で、気骨ある日本人、とか、そんな表現では到底表現できないものすごさがあります。
もっと、抜粋して、皆さんと共有できればいいな、と思っています。
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